「すっぴんイヤーン」と「男の子だってメイクしたい」
今日はちょっと子供の話をします。私には小学6年生の娘と中学3年生の息子(2人とも今のところシスジェンダーな模様)がいます。以前、「長田さんはママみを出さないんですか?」と聞かれたことがあった。長田さんは長田さんとして自然にやっている結果がこの状態というのと、個人である子供を私とセットでコンテンツ化することに忌避感がある。仕事によっては、子育て世代向けに有用と思われる記憶を引っ張り出して対応することもあるけど、標準装備ではない。
あと、既婚子持ちにもれなくくっついてくる「母として、妻として、働く女性(or職業)として、そして女として!」みたいなテンプレ見出しが字数の無駄だと感じるし、なんなら有害な側面があると思っているので(詳しくは著書『自尊心の筋トレ』、「母で、妻で、それで? 役割スタンプラリーからの卒業」に書いてあります)、いちいち役割で刻まず「私として」を大事にしたい。でも、次世代と話していると「大人や社会が子供に追いついてないな」と感じることがあるので、「こんなことがあったよー」のお手紙書きます。
ニュースレター「なんかなんか通信」は、美容ライターの長田杏奈が、コスメや気になるトピックについてお届けする、Podcast「なんかなんかコスメ」連動のニュースレターです。週に3、4通を目安に、女友達に手紙を書く気持ちでしたためて投函します。
男の子は大きくなってもすっぴんのまま
娘の友人が大勢で家の前に集まっていたので、犬を見せに外に出た。「お母さん?」と訊かれた娘は、「すっぴんだけどね」と。娘としては、メイクしている母の方が見映え的に自慢だから、とっさにエクスキューズしたのだろう。
男の子がふざけて「すっぴんイヤーン」とクネクネ顔を隠したので、「私はすっぴんでもいいんだよという活動をしてるから、これでいいんだよ。男の子は大きくなってもすっぴんのままでしょ」*と伝えた。娘は私の説教が始まるのを警戒したのか「いいからいいから」と止めていたけど、男の子にはそのやり取りだけでちゃんと趣旨が通じたみたいだった。
*私は化粧文化を愛する人間として、好きじゃない人や気が向かない人に対して義務化したりスティグマや恥を植え付けたり、自分のそのままの姿やすっぴんでいる自由を脅かすようなメイクの規範化に反対しています。自分もすっぴん気分の時はすっぴんだし、それを後ろめたいとは思いません。
「男の子だってメイクしたい」
意外なことに、すっぴんイヤーンの子は「男の子だってメイクしたいよ」と続けた。すかさず、「そうだよ、男の子だってどんどんメイクすればいいんだよ。楽しいし」と答える。「うちのお父さんは昭和だからそういうのダメなんだよね」とこぼすので、「私も昭和生まれだけどね」と返すと、「男の子はメイクしちゃいけないっていう考えに凝り固まってるのが昭和なんだよ。今はアイドルだってメイクしているのに」と。ほんと、そうだよね……。
子供時代、昭和52年生まれの私の居室には、母が好きだったジュリー(沢田研二)のポスターが貼ってあった。ジュリーは妖しくデカダンスなムードを漂わせたメイクをしていて、子供心に素敵だなと感じた。安全地帯も坂本龍一も忌野清志郎もボーイ・ジョージもデヴィッドボウイも、イケてるメイクをしていた。それなので、「昭和の男性スターもメイクしている人がいて、素敵だったよ」と伝えた。本当はもっと話したかったけど、子供たちを邪魔しないように早々に引っ込んだ。うち化粧品いっぱいあるから、いつでも遊びにおいで。
「日本の女性っぽい男性文化」陰謀論
以前も書いたが、最近の中国では男性のメイクを規制する動きが出ている。中国の大手新聞で「女性っぽい男性現象のきっかけは娯楽番組と映画作品だ。日韓のスターのイケメンが中国の芸能人の模倣対象となった」との主張がなされ、1996年に木村拓哉氏が出演した「スーパーリップで攻めてこい」の写真が添えられている。
記事中では、「日本の女性っぽい男性文化」は、第2次大戦後に米国が日本を徹底制圧すべく日本人の思想や文化を改造した影響であり、そのキーマンがジャニーズ事務所社長の故ジャニー喜多川氏だと説く。トンデモ荒唐無稽に感じるが、現地ではどのくらいの真剣度で受け止められているのだろう。
*ちなみに、記者と知人との会話をソースに「マツコ・デラックスさんはアウトでしょうね」と導入に使ったり、タイトルの惹き句にするのは、PV獲得的には有効な手法だがジェンダー感覚的には危険な使い方だと感じた。